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平成23年4月1日

 やえ内閣官房長官誕生

 突然ですが、皆さんにご報告しなければならないコトがあります。
 昨日の更新で、内閣に放射能とかの問題を国民に分かりやすく伝える担当官を作るべきだと言ったところですが、なんとその白羽の矢に、やえに立つコトになりました。
 ついさっき、やえのところに知らない番号で電話がありまして、とりましたら「菅直人です」と一言。
 全然意味が分からなかったのですが、すぐに声が変わりまして、「すみません、官房長官の枝野です。突然の電話なのですが、やえさんに官房長官に就任していただきたいと」とお話をされました。
 
 なにがなんだか分からなかったのですが、どうもやえが昨日の更新でお話をしましたように、新しい官房長官には国民に丁寧に説明する仕事を選任させるコトにして、そして枝野さんは副総裁に昇格して、ほぼこの震災や原発問題の総指揮を執るというコトになったそうなのです。
 枝野さんからは、「この国難の中、やえさんが民主党をあまりお好きでないのは承知ですが、なんとか受けてくれないだろうか」と、そうお願いされました。
 
 日本のNo2である官房長官にそこまで言われては、やえも別に自民党の議員でも党員でもありませんから、その覚悟を無下にするのも国民として失礼な話でしょう。
 1つの条件を出して受けるコトにしました。
 それは当然、官房副長官の仙谷議員を外すコトです。
 あんな人が後ろにいては、いつ鉄砲が背中から飛んでくるから分かりませんからね。
 そして枝野さんからは、その件は了承したと言われましたので、やえも官房長官就任を快諾いたした次第です。
 
 やえは内閣官房長官に就任するコトになりました。
 
 これから出来るだけ皆さんに、震災のコト、特に放射能関係のコトについて分かりやすく説明していこうと思います。
 やえも、何人か広島の知っている人にバックアップしてもらおうと連絡を取りました。
 またいっぱい勉強しなければならないです。
 かなり学術的なところも多いと思いますので、大変だろうとは思っています。
 でも、国民のひとりとして、民主党が云々ではなく、日本を立て直すためにという思いで、微力ではありますが全力を尽くしていきたいと思っています。
 
 またみなさんからの質問も随時募集します。
 必ず頂きますコメント等には目を通しますので、何かご質問やご要望がありましたら、web拍手や御意見板にでも書き込んでいただければと思います。
 もしかしたらちょっと今後の更新が滞るかもしれませんが、出来れば会見等で、その頂いたコメントにお返事できればと思っていますので、よろしくお願いします。
 
 では、早ければ明日からやえが会見に立つコトになりそうですので、どうぞよろしくお願いします。
 頑張ります!!
 



平成23年4月2日

 放射線のデータの見方・考え方

 放射能について色々と調べていく中で、やえが常々疑問に思っていたコトがありました。
 それは、「放射線濃度とはその時に測った濃度を考えるべきなのか、それとも累計で足し合わせたモノを考えるべきなのか、どっちなんでしょうか」というモノです。
 毎日のように放射能濃度に関するニュースが流れ、多くの人が目にしている〇〇マイクロシーベルトとかベクレルとか数字ですが、これは、もしその場所に人間が入った場合、身体に対する影響や、その土地に住む場合や作物を育てる場合などの影響は、果たしてどの数字を基準として考えるべきなのでしょうかというコトです。
 その時に観測された数値を元に影響を考えるべきか、それとも3週間ぐらい前からの事故発生時の漏れ出した時から累計した数値で考えるべきか。
 どっちかなのか、ずっとやえは疑問に思っていました。
 
 でもこの疑問というのは、ハッキリとさせておく必要がある問題のハズです。
 なにが危険でなにが安全なのかというコトが、この放射能問題の根本的な目的ですから、その数値を見た時にどう考えるべきかの指針に、この問題は当たるワケです。
 累計とそうでないのとでは、数値が全然違ういますから、この違いはかなり大きいハズです。
 例えば、この土地の放射線量や放射性物質量が発表されたが、そこに帰れるかどうかというのは、その時の数値だけを見ればいいのか、それとも今までの数値を累計しなければならないのか、ここで大きく違ってきてしまうワケですね。
 ここ数日更新を書いていく中でずっとこの疑問が頭の中にあったのですが、色々と調べていく中で、なんとか答えのようなモノを見つけた気がしますので、ちょっと書いておこうと思います。
 もし違うようでしたら、ご指摘いただければと思います。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 この問題を考える際に一番重要なのは、「どこを・なにを基点にするか?」です。
 例えば、土地を基点に考えるのか。
 それとも、人間が浴びる放射線量を基点にするか。
 また人間が浴びる放射線量と言っても、いつからそこに入るのかという点も重要な基点となります。
 なかなかちょっと難しいのですが、具体例を出しながら考えてみましょう。
 
 日本政府は「SPEEDI」という緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムを持っています。
 簡単に言えば、放射能が漏れたとき、地形や風向きなどを勘案して、どれぐらいの放射線や放射性物質が、どの辺りまで拡散してしまっているのかを予測するというシステムです。
 これ実はそれなりに前から政府は持っているのですが、今回はなぜか政府がこの情報を全然出さなくて、なんのために高いお金を使ってシステムを構築したんだとか批判が出ているのですけど、とりあえず今日はその問題は置いておきましょう。
 で、このSPEEDIがやっと出した情報がこちら(PDFファイル。内閣府原子力安全委員会。アドレスも原子力安全委員会のモノですね)です。
 
   
 
 この数値は、右上に書いてありますように、体内に放射性ヨウ素を取り込んでしまった場合の内部被曝での放射線量の数値ですが、注目すべき点はその下の一文です。
 
 本試算は、福島第一原子力発電所の事故発生後、連続して一日中屋外で過ごすという保守的な条件を仮定して、甲状腺の被ばく線量を試算した
 
 つまり、人が放射線を浴びて影響が出るのかどうかというコトを考える場合においては、それはその場所の放射線や物質の累計から計算するのではなく、人が入った瞬間の測定値を見て、そこからその場所にどれぐらいの時間いたのかを計算して、判断すべきだというコトなのです。
 
 放射線濃度は刻一刻と変わりますから正確には違うのでしょうけど、単純に言えば、その人が身体に与える影響を考慮する上で知るべき放射線量は、『その瞬間の放射線量×時間』となるワケです。
 ここに過去の累計は意味がないんですね。
 例えば、先ほどのSPEEDIが出している累計1万シーベルトの地域に、明日一瞬でも入れば突然1万シーベルトの放射線を浴びるワケではありません
 もし明日この地域に入るのであれば、とりあえず過去のデータは一切忘れて、入った瞬間の放射線量と、どれぐらいの時間居続けるのかというコトを考えて計算すればいいワケです。
 累計は、その場所にずーっと24時間外に居続ける人がいれば意味もあるんでしょうけど、そうでないほとんどの場合は、あまり気にする必要のないデータだと言えるでしょう。
 
 ただしここで注意しなければならないのが、その場所の放射線量の単位です。
 基本的に放射線量の数値が出される時は、ほぼ「シーベルト/時間」という単位になっています。
 学術的には、「/時間」が書いていない場合は総量を表すようなのですが、ちょっといい加減なマスコミとかでは「/時間」の部分を省略するコトが多く、特に事故初期はこれが分からない人が大半で、まぁやえもよく分からなかったのですが、これが多少の混乱の元でした。
 いまはキチンと書いてあるとは思うのですが、それでもマスコミでキチンと単位を書いていない場合のほんどは「/時間」があるモノとして考えて良いと思います。
 
 例)大気の放射線量、各地で低下傾向続
 
 福島第一原発事故の影響で上がった大気中の放射線量は1日午前中も、各地で低下傾向が続いている。午前8時現在で、茨城県北茨城市で毎時0.598(前日午前8時は0.642)マイクロシーベルト、高萩市で0.664(同0.689)マイクロシーベルトとやや下がった。
 
 総量なら、逆にこれは総量ですとSPEEDIのように書いてあるコトの方が多いでしょう。
 例外は、「レントゲン一回分」とか「東京−ニューヨーク間」とか、そういう値ですね。

 これは時間当たりではなく、そのまま一回分と見るべきなのでしょう。
 それから、キチンと単位を言っている場合もあり、例えば「1年間で自然に浴びる量」というのは、文字通り単位が1年間ですね。
 つまりそれ以外は、「一時間当たりこれぐらい浴びる量」と見るべきですなのです。
 
 よって、その土地で計測した放射線量が例えば100ミリシーベルトだった場合、これは正確には「100ミリシーベルト/時間」ですから、その意味としては「1時間そこに居続けた場合の被曝量」という数値となります。
 その場所に二時間居続ければ200ミリシーベルトの量を被曝したコトになりますし、逆にその場所に1分しかいなかった場合は、おおよそ「100ミリの1/60」しか被曝しないワケです。
 当然これは場所によりますから、途中で建物の中に入ったとか、急に風向きが変わって強風になったとか、そういうコトになればまた量は変わってくるでしょう。
 
 色々な数値や数字だけを見ると、どうしても、その数字だけの大小に目が行きガチですが、その数字が大きいのか小さいのかは、こうやってキチンと単位など合わせて、また意味もよく考えて判断しなければなりません。
 
 まだ難しい点はたくさんあります。
 今度は視点を変えて、では土地や水や野菜などに対する放射能物質はどうなのかを考えてみましょう。
 
 
 (つづく)
 



平成23年4月4日

 放射線のデータの見方・考え方 (2)

 まだ難しい点はたくさんあります。
 今度は視点を変えて、では土地や水や野菜などに対する放射能物質はどうなのかを考えてみましょう。
 
 これらを基点として出される数値というのは、基本的にベクレルという単位で表される放射性物質の量(厳密には放射線を出す能力)で数値化されています。
 ですから、「水の中に○○シーベルト」という表記は基本的には無いハズです。
 放射線そのものは通り過ぎていけばそれで終わりで、溜まるような性質のモノではありませんから、生物以外に付着するとか存在すると言われる場合は、放射性物質のコトを言っているのであり、その量(能力)が○○ベクレルある、という考え方となります。
 
 放射性物質は、放射線を放出します。
 そして生物は、この放射線にある程度当たると、様々な悪影響が出ます。
 逆に言えば、放射能物質そのものに害悪があるワケではありません。
 あくまで放射能物質から出る放射線が生物や人体にとって害なのです
 
 こういったコトから、「その土地が安全かどうか」を考える際には、放射能物質の有無を調べるというのも将来の予定を立てるという意味では必要ですが、たちまち安全かどうかというのは、その放射性物質から出ている放射線量を量る方が分かりやすいと言えるでしょう。
 少なくとも、原発が正常な状態となって、もう一切の放射性物質が飛び出していない、封じ込めに成功したという状態になれば、それ以上放射性物質が増えるコトはないのですから、ではそこに住めるかどうかは、放射線量を量って考えればいいワケですね。
 もちろんそれがどれぐらいまで続くのかという試算を出すために、放射性物質を調べるコトも大切ではありますし、その放射性物質がどれぐらいの放射線を放出するのかは分かっていますから、放射性物質を計っても健康問題などは計算できるので、こちらを計るというのも意味はあります。
 ただし、放射性物質は物質によって性質や放出する放射線の強さや種類は違いますから、ベクレルの前についている数字だけを見て一喜一憂しないように気をつける必要はあります。
 大切なのは、どの物質がどれだけあって、その結果としてどのような影響が身体にあるかという、やはり冷静で科学的な知識を得るコトなのです。
 
 放射性物質とはこういうモノですから、やはりここも、事故発生時からの累計の数字は意味を成さないモノと考えて良いでしょう。
 というか、よく記事で見る数値というのは、その時のその場所につ積もっている放射性物質の「総量」のハズですから、それ以上も以下もないハズなのです。
 その土地に対して今日計った数値が今日飛来したモノだけを測定しいるワケではない、というか、そんなモノ測定できるのかどうかも疑問ですし、温度を計るのと同じようなモノで、時間によって熱が増えたり減ったりして今その時の温度が決まっているワケですから、1週間前からの増えた温度だけを足し合わせた累計量を量る意味は「その土地の温度の人体への影響」を考える上では全く意味を成しません。
 同じように、放射性物質は、風とかで飛散すして減っていきますし、半減期を迎えると放射性物質の半分は崩壊して減っていきますから、そうやって増えたり減ったりした結果として、いまその場所にある放射性物質が測定されたというのが、記事でよく見る数値でしょう。
 累計と総量には差が出るのは当然と言えば当然です。
 特に、水や海水の場合は、水の量が増えれば増えるほど薄まるのですから、濃度が小さくなるのも当然のコトです。
 
 累計は、原発からどれだけ漏れ出してしまったかを知るためには必要な数値ですが、しかしその土地のコトを考える上ではあまり関係がありません。
 あくまで今その地点でどれがけ存在しているかという測定値が重要なのです。
 
 その土地に住んでいいのかどうか、作物を耕していいのかどうか、水が安全なのかどうかというのは、その時計った放射性物質のベクレルの数字だけを参考にすればいいというコトになります。
 今までの3週間の数値を全部持ち出して足し合わせた累計値を出す必要はありません。
 その時の測定値が、すなわち「その土地にある総量」と考えるべきでしょう。
 その上で、農業に適するのかどうか、住んで大丈夫なのかどうか、ここを考える必要があるのです。
 
 ひとつ注意しなければならないのが、放射性物質がやっかいな点として、それが体内に入ってしまうコトがあるという点です。
 先ほども言いましたように、放射性物質そのものには害悪はないのですが、しかし放射性物質は放射線を出し続けますので、放射性物質が体内に存在する限り被曝し続けてしまうという危険性があるのです。
 外にある放射線は、種類によっては建物の中に入れば少なくなりますし、放射性物質が飛んでいない地域まで逃げてしまえばもう放射線を浴びるコトはなくなりますが(自然被曝は当然ありますが)、体内に放射性物質が入ってしまっている場合は、どこに行こうとも常に身体は被曝し続けているという状態になっているのです。
 これが内部被曝です。
 
 よって、放射線の影響、身体にどれだけ影響するかという放射線量を考える場合は、外からの外部被曝と、体内からの内部被曝の両方を考えなければなりません。
 またこの場合、外部被曝であれば1時間だけの量という計算が成り立ちますが、内部の場合は逃げれませんので、放射能の強さが同じであっても、受ける量は全然違うというところに注意しなければならないワケです。
 例えば、外部被曝は1マイクロシーベルトあって、内部被曝も1マイクロシーベルトあるとする場合、単位を共に「マイクロシーベルト/時」だとしても、じゃあ1時間だけ作業してすぐ待避すればたった2マイクロシーベルトだから大丈夫だ、とはならないのです。
 1時間で待避しても、2時間後は合計3マイクロシーベルト、3時間後は4マイクロシーベルト被曝したというコトになってしまうワケなんですね。
 同じ「○○シーベルト」でも、内部被曝と外部被曝では、かなり実質的な意味合いが違うのです。
 
 チェルノブイリでの子供に見られた甲状腺がんの多発は、これが原因です。
 放射性ヨウ素が、体内の甲状腺というところに蓄積してしまい、ここから24時間ずっと放射線を出し続け、浴び続けてしまった結果、甲状腺がんになってしまいました。
 被曝地域を離れても、ずっと被曝し続けてしまったんですね。
 こういうコトから、放射性物質の量というコトも、かなり気をつけて注目しなければならないワケなのです。
 
 念のためもう一度言っておきますが、内部被曝ではない土地などの影響を見る場合は、累積する必要は無いというコトは確認しておくべきコトでしょう。
 例えば「あと30年間は草木が生えない」とかいう放言も、「3週間前から累計したら○○ベクレルになっているから」では根拠にはならないワケです。
 風で飛んでいったり、半減期で消滅してしまった放射性物質のコトまで合計しても、なんら意味は無いですからね。
 あくまで「その時のベクレル数」が重要なのであり、そしてまた、その放射性物質がどれだけあるのかを考える必要があるでしょう。
 ここは、冷静にです。
 
 では、放射線の人体の影響について、その放射線量から具体的に考えてみましょう。
 
 
 (つづく)
 



平成23年4月5日

 放射線のデータの見方・考え方 (3)

 では、放射線の人体の影響について、その放射線量から具体的に考えてみましょう。
 
 放射性物質からの放射線について、特に外部被曝については、その単位に気をつけて、いくら○○シーベルトと書いてあっても、一気にその量を全て浴びるワケではないと言いました。
 放射線のその量のはかり方は、基本的には「毎時○○シーベルト」ですから、その土地に一時間居続けなければその数量の放射線を浴びるコトはありません。
 そして当然、放射線を浴びているその土地に入ったからと言って、いままでの3週間ぐらいの累計値の量を一瞬で浴びるワケでは決してないワケです。
 あくまで「○○シーベルト/時間」の数値は時間単位であって、例えば5分だけいれば、その数値の1/12の値しか浴びないのです。
 よって「累計」はあまり意味がないと言いました。
 
 しかし、身体に浴びてしまった放射線量は、ある程度累計で考える必要があるという点は注意点です。
 「これから浴びる量」と「いままで浴びてしまった量」と、基点が変われば、考え方を変えて見なければいけません。
 簡単に言えば、土地には累計しないですが、人には累計して考える必要があるというコトです。
 これは、放射線の影響は細胞やDNAに悪影響を与えるからで、生物とそうでないモノとでは、根本的に考え方が変わってくるからです。
 よって、人体への影響を考えるという場合は、ある程度累計というモノを考えなければならなくなります。
 
 例えばよく「レントゲン一回分の放射線量だから大丈夫」と言う説明を聞くと思いますが、しかしいくらレントゲン程度とは言え、毎日10回ずつを1年間ずっと浴び続ければ、おそらく体に相当の負担を強いるコトになるでしょう。
 ……ちょっと気になったので計算してみましたが、600マイクロシーベルト×10×365ですから、219万マイクロシーベルトであり、つまり2190ミリですから、ええっと、2.19シーベルト……3〜5シーベルトで半数が死亡ですから、かなり死んでしまう可能性が高い数値になってしまいます。
 さすがに毎日10回を1年間続けてっていうのはあり得ない話ですが、しかし放射線量をこれ以上浴びてはならないという国の基準は、例えば医療従事者なら年間50ミリシーベルト、一般人では1ミリシーベルトと、だいたい1年間が単位となっているコトから、一瞬で2シーベルトはとんでもなく危険ですが、1年かけてこれぐらいの量を浴び続けてしまっても、やはり相当に危険な状態になってしまうというコトなんだろうと思います。
 
 ただ、ここがちょっと難しいところです。
 いくら身体の影響と言っても、どれぐらいの期間にどの量だけを浴びたら危険なのかという、放射線量と浴び続ける時間の相関関係というモノがハッキリしないからです。
 こちら(PDF)にはこのように書かれていますように
 
 一般的には、被曝した放射線の量(時間当たりの放射線量に被曝時間を乗じた被曝総量)が同じ場合、その被曝にかかった時間が長いほど影響は小さくなります。ただし、その減少の程度は線量によって異なる可能性が高く(放射線量が多い場合には減少の度合いが大きい)、従って低線量(例えば100ミリシーベルト以下)では、長期被曝でも短期被曝でもあまり影響は変わらない可能性があります。
 
 なんだかちょっとハッキリしない物言いなんですよね。
 長期的に被曝した方がリスクは低くなるけど、でもモノによっては変わらないかもしれないし、100ミリシーベルト以下なら長期も短期もほとんど関係ありませんよ、と言っているワケです。
 でも10年かけて100ミリ以下だとほとんど意味がない気もしますし、まぁこの辺はデータが無いというところなのかもしれません。
 よって、身体に浴びてしまった放射線量の累計は、どういう時間的単位で計ればいいのかというのは、かなり難しい問題と言わざるを得ないでしょう。
 
 ここはやえの素人判断なのですが、とりあえずは1年、もしくは、今回の事故は非常事態の話ですから、とりあえずこの事故が一段落するまでの期間の累計と見るのがいいのではないでしょうか。
 この事故が収束すれば、あとはレントゲンやCTやラドン温泉など行かない限り、自然被曝しかしなくなりますから、あまり考える必要もなくなります。
 よって、どうしても心配なら、そう言う期間での累計の数字を取ってみるのが適切かと思います。
 
 しかしそうは言っても、これはそう簡単な話ではないですよね。
 なぜなら、自分が今日どれだけ被曝したかなんて、よほど詳しく調べないと分からないからです。
 例えば上の方で引用した記事によりますと「茨城県北茨城市で毎時0.598マイクロシーベルト」となっていますが、これは説明したように、一時間ずっと外に居続けた時の数値です。
 よってその日に外にいた時間が2時間だったとすると、推定で1.196マイクロシーベルト被曝したコトになりますが、しかし2時間ずーっと連続して外にいたワケではない場合が多々あり、例えば通学や通勤で朝と晩に合計2時間という場合だとしても、電車やバスなど乗った場合は被曝量はもっと少なくなるハズですから、そう簡単に一概に言えるモノではないワケです。
 また室内でも放射線が完全にシャットアウトできるというモノでもないハズですし。
 さらに言いますとこの数値は、自然被曝で浴びる放射能も含まれた数値ですから、それも考えなければなりません。
 また内部被曝の可能性や、その放射性物質が排出されたり、半減期で減っていくコトとか、いろいろと考えるべき視点は多いワケですね。
 かなりややこしいと言えるでしょう。
 
 さらにややこしいのが、結局、どれぐらいの総量を浴びると身体に影響が出るのか、という点もハッキリしない点です。
 大量の放射線を一気に浴びれば悪影響が出るというのはハッキリしているようですが、量が少なければ少なくなるほど分からなくなってきます。
 なぜそれが分からないのかというのは、これは先日も言いましたように、放射線に浴びなくてもがんになる人はなってしまい、それが完全に放射線のせいなのかどうなのかがハッキリしないというコトと、統計を取るにしても、それほど大量の放射能がばらまかれた例は、広島や長崎やチェルノブイリぐらいしか無いので、サンプルが少なすぎる、というコトが挙げられます。
 もし、放射線を1シーベルト浴びると必ず放射線病にかかるという感じで影響が出るなら分かりやすいのですが、そうではありませんから、結局放射線を浴びた人と浴びていない人との集団に分けて比較するという統計を取って、そして倍率を比べるしか、放射線の身体的影響を調べるコトが出来ないのです。
 そしてその結果がこれです(PDF)。
 
 放影研における原爆被爆者の疫学調査から明らかになった放射線の長期的な健康影響は、1シーベルト(1,000ミリシーベルトあるいは100万マイクロシーベルト)の放射線被曝により、平均してがんの確率が約1.5倍に増加するということです。このリスクは被曝した放射線の量に比例すると考えられています。国際放射線防護委員会などの考え方に従うと、100ミリシーベルトでは約1.05倍、10ミリシーベルトでは約1.005倍と予想されます。ただし統計学的には、約150ミリシーベルト以下では、がんの頻度における増加は確認されていません。
 
 1シーベルトでがんリスクが1.5倍になるというのは、当サイトでも何度も出てきた数字ですね。
 注意すべきは、引用にも書いてありますように「長期」の場合です。
 おそらく短期で1シーベルトはかなり危険な数字のハズです。
 この長期と短期も意識して分けて考える必要があるでしょう。
 そして長期の場合、理論値ならともかく、統計学上では150ミリシーベルト以下だとがんリスクが固まった数字は出ていないと言っています。
 では150ミリシーベルトの時のがんリスクの発症率が何倍になるのか、これが書いてないのでなんともなんですが、でも100ミリでは1.05倍ですから、どうなんでしょうかね。
 1シーベルトとは1000ミリシーベルトですから、150ミリで1.1倍までは上がらない気がしてなりません。
 
 ちなみに国立がん研究センターのサイトによると
 
 喫煙によるがん死亡の相対リスクは、男性で2.0倍、女性で1.6倍でした。
 
 となっていますから、放射線1シーベルトよりもよっぽど高い、しかも放射線の場合は発症の確率に対して、タバコの場合はがんでの死亡の確率ですから、なおタバコの方が高いと言えるでしょう。
 いやー、タバコってなんかこわいですね。
 
 ちょっと前に、原発の作業員が150ミリシーベルトの放射線を浴びてしまったというニュースがありましたが、そうでない一般の人が150ミリシーベルト浴びるというのは、いまの状況ではちょっと想像が難しい状況です。
 例えば東京の空気中の放射線が1ミリシーベルト(1000マイクロシーベルト)もの濃度になっていたとしても、一日1時間浴び続けて1ミリシーベルトですから、さらにそれを150日間続けなければ150ミリシーベルトには達しません。
 内部被曝を除いてではありますが、ちょっとこれは現実的な話ではないですよね。
 
 現実的な話で例えてみますと、3月15日の東京都での大気中の放射線量は0.809マイクロシーベルトでした
 この記事にはキチンと最初に「1時間当たり」と書いてありますので、よって、先月15日の量が今日までずっと続いていたと仮定したとしても、1日1時間浴び続けるコトを10日間続けてやっと8マイクロシーベルトですから、これをミリシーベルトにまで単位を挙げるだけでも相当な時間がかかるでしょう。
 福島でも「福島市内では16日、1時間あたり20マイクロシーベルトを観測」です。
 このレベルが今でも続いていたと仮定したとしても、1ミリシーベルトに達するだけでも、1日1時間浴び続けるコトを50日間続けなければなりません。
 150ミリシーベルト(15万マイクロシーベルト)なんて、7500日です。
 余裕で一年を超えているワケで、ここまで長期だと本当にがんリスクが高くなるかどうかすらも、もう分からない数値なのではないでしょうか。
 そしてなおさら現在では、「福島市は2.68マイクロシーベルトに」ですから、変な話、浴びようとしても浴びるコトすらできないという状況です。
 政府などが「安全だ」と言っているのは、こういうのが根拠なんだろうと思われます。
 
 もちろん、これからのコトは分かりません。
 何らかの原因によって、原子炉からさらに多量の放射線や放射性物質がばらまかれてしまう可能性は否定できないからです。
 また当然、原発周辺がどんなコトになってしまっているかも、ちょっとよく分かりません。
 しかし少なくとも、東京ではまだ慌てるようなコトには全然なっていないというコトは、冷静に考えなければならないと思います。
 不安を煽っても良いコトなど1つもありません。
 ただ風評被害と差別を生み出すだけです。
 
 数字の意味が分かれば、対処の仕方も分かります。
 そして今の数字を見れば、少なくとも東京では何か特別なコトをしなければならないというレベルではないコトも理解できます。
 一番の問題は、政府発表の数字をどこまで信用したらいいのかというところですが、ここはもう、様々な方面からの情報を集めて、総合的に分析するしかないでしょう。
 例えば日野のガイガーカウンターや、新宿区百人町のガイガーカウンターを参考にするとか、また水道に関しては、水道局の管轄は政府ではなく都道府県だからという事情など、様々考えれば、政府が一括して全ての情報を改竄できるとはとてもじゃないですけど合理的には考えられません。
 もし福島の数値を政府が改竄していたとしても、しかしその影響は必ず先ほどのガイガーカウンターに(ラグは多少あるでしょうが)反映されるでしょうから、東京ではそんなに数値が変わっていないというコトは福島でも大きな変化はないと判断できるワケです。
 そうやって証拠を集めていくというコトも、政府の数字を信用するという意味では必要かと思います。
 また今では、尖閣諸島でのビデオですら流出したぐらいなのですから、あれも一大事でしたけど今はもっと大変な国難ですから、そう簡単に情報を統制できる世の中ではないハズです。
 こうしたコトから、とりあえず今はまだ信じられるレベルだと、やえも判断しているところです。
 
 かなり長くなってしまいましたが、以上がやえが今放射能というモノに関して判断している基準です。
 もし何か間違いがあれば指摘してください。
 また、質問等もありましたら、どうぞおっしゃってください。
 でもキチンと調べれば分かるコトはたくさんありますから、心配しすぎて根拠のないままに危険だ危険だと言う前に、自分で調べられるコトは調べるべきだと、これはこの問題に限らず全ての問題において、やえは思うのです。
 



平成23年4月6日

 災害に対する国民の意識

 今回の東北関東大震災は、1000年に一度の大地震や大津波と言われています。
 そしてその1000年という人間では体感できない月日に対して、それなのに1000年という言葉に説得力を持つほどの大きな被害をまざまざと見せつけられたのも、今回の大震災の大きさを表していると言えるでしょう。
 日本が受けたダメージは決して小さくありません。
 それでも、おそらく日本は世界で一番防災対策が進んでいる国です。
 それは古来から地震や津波、また台風など、自然災害が多発する地帯であり、その歴史を受け継いでいるからこそなのですが、もし仮にこれほどの大地震が他国で起きていたら、これはもう文字通り国家の存亡をかけるぐらいの大被害となっていたコトでしょう。
 日本の場合は、今回の地震にしても、震度7を観測したのに死者行方不明者0という地域もあり、驚異的な耐震強度を再確認しました。
 他国だと、津波が無くてもこれだけでアウトだったのではないでしょうか。
 しかし同時に、津波に対してはほぼ無力だったというのが残念でなりません。
 
 これは当然、日本としては教訓にしなければなりません。
 歴史を受け継ぐというのは、こういう面もあります。
 例えば明治29年と昭和8年に起きた三陸沖地震で津波によって甚大な被害を受けたある地区では、その生き延びた先人達が「これより下に家を建てるな」と石碑を残し、その地区の人たちは言葉を守っていたために全員無事だったという話もありましたように、人は人が生きて死ぬという時間を超えて思いを残すコトが出来るのですから、こういう教訓ももっと大切にすべきだったと、今回の震災では改めて反省するところは多いのではないでしょうか。
 おそらく地震や津波や台風など、そういう教訓や言い伝えが残っている地域というのは、日本全国けっこう多いのではないかと思います。
 ちょっと違うかもしれませんが例えば広島の宮島なんて、台風がよく来て水害が頻繁に起きるモノですから、神社の大切な部分を守るために敢えて外側は壊れやすくして中まで水が入ってこないような造り方をしています。
 昔から日本人がいかに自然災害と戦ってきた、そして共存してきたかというコトでしょう。
 
 過去においては、技術力がまだまだだったというコトもあり、敢えて壊すとか(と言ってもこの技術もスゴいと思いますが)、石碑を建てて備えるとか、逃げやすくするとか、そう言う手段しかありませんでした。
 しかし今は違います。
 地震にしても、古い建物はまだちょっとこわいですが、10年ぐらい前から建てられたモノであれば、ほぼ克服したと言っていい技術を日本人は手に入れています。
 津波だって、もし今回の津波が発生する時期が分かっていれば、おそらく逃げる以外の手だてもあったのではないでしょうか。
 堤防を作るとかですね。
 実際、当時は反対に遭いながら、しかし村長が政治生命を賭けて作り上げた15mもの大堤防のおかげで、そこまで被害が出なかった地域もあります。
 ここまでの大規模で広範囲な津波でしたから被害を0にするコトは出来なかったかもしれませんが、しかしもっと被害を小さくするコトは出来たでしょう。
 この地域は先ほど言いましたように、昭和に入ってからも大津波での被害があったのですから、また50年か100年か先のコトを見越してそれに備えるというコトは、これからの課題だと思います。
 
 しかし今やえが言ったコトは、おそらく今回の大震災を経験したから言える、というか、みなさんもすんなり読めるモノになっているのではないでしょうか。
 つまり、大震災が無い時の平時にこんなコト言っても、どこまで真面目に考えるか、ちょっと分からないのではないかと思います。
 実際やえだって、いままで防災グッツとか、防災袋を用意なんてしたコトはありませんでした。
 これからちょっと反省して、物流が安定して落ち着いたら、非常食とか集めておこうと思っているのですが、そういう人間の感覚というのは難しいモノですよね。
 それは先ほどの堤防を作った村長は、地域住人に大反対されたというコトからも分かると思います。
 
 ただもちろん、これは程度の問題です。
 東京電力の福島原発の事故は、やはり津波を想定した設計は必要だったでしょう。
 原子炉のある本体は地震も津波も耐えきりましたが、しかし津波によって自家発電装置が動かなくなったというのでしたら、片手落ちだったと言われても仕方ないと思います。
 東京電力は大いに反省すべきところでしょう。
 ただ同時に、国民ももうちょっと考えるべきところはあったのではないでしょうか。
 堤防を作った村長の話のように、今の状態なら色々言えるコトでも、この経験が無い平時の時なら、果たしてどれほど意識を持って防災対策にあたれていたのか、ここはかなり疑問に思わざるを得ないところだと思います。
 「そんな高い堤防を作ってどうする」
 「来るかどうか分からない災害にそこまでお金をかけてどうする」
 おそらくこんなコトを言われてしまうのは容易に想像がつきます。
 今はいくらでも言えても、しかし地震が起きる前なら本当にそんなコトを言う気持ちになっていたのか、ちょっと深呼吸して考えてみる必要はあるかもしれません。
 
 蓮舫大臣というのは、その象徴かもしれません。
 かつて蓮舫大臣は「100年に一度の災害対策は必要ですか?」と言って、スーパー堤防の予算を削りましたね。
 この予算は今回の津波とは関係ありませんが、しかし問題はそこではありません。
 未来への投資、未来の人間の生命と財産を守るための行為一切を「ムダ」と一言言って切り捨てる、その考え方が間違いなのです。
 目先の1円しか考えない、その姿勢が間違いなのです。
 ここのところの日本人は、そんな考え方になってしまっていたのではないでしょうか。
 子ども手当や高校無償化など、先のコトなど考えず、目先のお金ばかりを追ってしまっていたのではありませんか?  それが民主党政権を誕生させてしまったのではないでしょうか。
 
 道路とかもそうです。
 一時期自民党が「ライフラインとしての道路整備は必要だ」とか、「今でも非常時に救急車が通るための道は必要だ」とか、「いのちの道の建設を」とか言ってましたが、しかしこちらのログを見ても分かるように、当時は一笑に付されるような有様でした。
 これも、いざというときの備えよりも、目の前のお金の方が大切だという考え方からの反応なのではないでしょうか。
 でも、いざという時のコトを考えれば、キチンと道路整備するというのは大切でしょう。
 今回のコトを教訓にと言うと、地震や津波のコトしか頭にない人もいて、「それは地震や津波とは関係ないだろ」とか言う人がますが、「いざ」というのは、何も地震や津波だけではないのです。
 災害に対する考え方、また人災もあるかもしれません、「備えあれば憂い無し」とは小泉総理がよく言ってましたよね。
 今回の教訓とは、目先のお金だけを追求するのではなく、将来に対する投資や未来の日本を守るために今すべきコトをどう実行するのかというコトを考える必要があるというコトなのです。
 
 民主党は事業仕分けで他にも、塩の備蓄ですとか、学校の耐震化予算ですとか、未来への投資をことごとく仕分けてきましたし、また八ッ場ダムも発電も行う多目的ダムとして追加計画されていたようですが、言うまでもなくこれも仕分けしたワケで、今さら水力発電等クリーンエネルギーに転換すべきだったと言っても、じゃあ脱ダム宣言なんてメチャクチャなコトを言うのではなく、もっといっぱいダムを造るべきだったんじゃないですかと言いたくなってしまいます。
 でもこれらの事業仕分けの第一弾の時は、まだ政権交代直後というコトもあって、マスコミも国民も大喝采中でしたね。
 ここは国民も大いに反省すべきでしょう。
 そして同時に、政権政党である民主党はその考え方を根本から変えてもらわなければ困ります。
 というか、もう政権から早く降りて欲しいです。
 
 自省を込めて、今回のコトで防災に対する国民の意識もずいぶん変わったコトでしょう。
 起きてしまったコトを言っても仕方ないですから、これを教訓にしなければ意味が無くなってしまいます。
 これからは、目先の1円ではなく、長い目で見て、日本の歴史を受け継ぐための考え方にしていかなければならないのです。
 



平成23年4月7日

 コメントレス

 今日は木曜恒例のコメントレスの日です〜。
 どんどんどーん。
 ぱふぱふ〜。
 
 
 ムダにテンション上げてみました(笑)
 
 
 売国政党が大連立と盛んに吼えてるのは、連立組んだら責任を自民におっかぶせるためで、断ってもこの状況で協力しないジミンガーとどうころんでも叩く論調をマスゴミにひろめてもらうためですか
 
 正直大連立ってどうなんですかね。
 その意義が余りやえにはよく分かりません。
 とりあえず今は与野党が対立するような議題を取り扱わないというだけで、震災や原発に対するフォローというのは早急にできるハズなのですから、別に野党まで閣内に入る必要なんて無いんですよね。
 まぁ民主党はアレですから、こんな時期にも子ども手当なんてやってしまったワケで、そういう態度がますます野党と国民の反発を受けているのですが、それすら理解できない空気読めない菅内閣と言ったところでしょう。
 とは言っても、選挙で選ばれた民主党の内閣なのですから、本来的な意味で言えば、どんな状況にあったとしても、その内閣が対応するというのが当然です。
 未曾有の大震災であったのは確かですが、しかしだからといって、その時点での内閣の責任が打ち消しになるコトはありません。
 未曾有の震災の可能性も含めて、政府の仕事であり、与党の責任なのですから。
 
 だからいまの「大連立ムード」というのは、結局民主党に能力がないという意味でしかないと、やえは思っています。
 だって例えばこれが自民党内閣、麻生内閣だったとして、麻生さんが「挙国一致のために菅民主党(もしくは小沢民主党・鳩山民主党)にも政権には言ってもらって力を貸してもらいたい」とか言い出したら、正直やえは麻生さんの正気を疑います。
 そんなコトしても混乱に拍車をかけるだけとしか思えないですからね。
 でもそれはなぜかと言うと、民主党に能力がないと分かっているからです。
 だから全体としての力を下げるようなマネはやめてと、こう反対するワケですね。
 
 しかしいまの「大連立ムード」というのは、こういう意味で反対する人がいないんですね。
 「自民党には能力がないからやめて」と言う人をやえは見たコトがありません。
 それはつまり、やっぱり民主党よりも自民党の方が能力があるとみな認識しているというコトなのでしょう。
 「国民のために大連立を」という言葉も、もし大連立で政府機能が劣ってしまえば国民のためにはならないワケですから、自民党が閣内に入った方が国民の利益になると、つまり自民党には能力があるからその力を貸して欲しいと、そういう意味になりますよね。
 だから大連立した方が問題解決には適切だと、大連立を望んでいる人というのは、ここを期待しているワケです。
 
 つまり結局、いまの「大連立ムード」というのは、民主党と菅内閣に能力がないから出てくる話なのです。
 
 だからそれはどうなんでしょうかと思わざるを得ないところなんですよね。
 能力がないなら、さっさと退陣した方が何倍もマシです。
 自民党でないと対応できないというのであれば、民主党はさっさと政治の場から退場すべきです。
 それこそ国民のためになりますよね。
 だから「大連立」というのは、意義がよくわからない、中途半端な対応としか思えません。
 どうせなら、純粋な自民党内閣にしてもらった方がいいでしょう。
 それが無理なら、キチンと民主党が能力を発揮すればいいだけの話です。
   
 あとはまぁ、自民党に責任を押しつけるコトしか考えていない、いつもの民主党という面もあるのかもしれません。
 民主党支持者もなぜか「大連立を」と、民主党に能力がないと自ら言っているに等しいのに大連立をと言っているのは、そういう理由もあるのかもしれません。
 
 【だめだこりゃ】この非常時にイラ菅全開……谷垣に電話で「私と責任分担するのが嫌なのか」と迫る
 http://aresoku.blog42.fc2.com/blog-entry-2068.html
 
 だめだこりゃ。
 
 
 私は今回の災害で得る物があったとすれば、それは災害の映像だと思います。これまでの被災は文字に残すのが精一杯だったでしょう。しかし、今回の津波は映像に記録されました。日本が文明国である限り、この情報は失われないと思います。次の災害に備えて。悲しい事ではありますけれど。
 
 そうですね。
 それはあるかもしれません。
 だって、あの映像って、平時であんなの見せられても、何の映画のCGなのかなって疑ってしまいそうなぐらいですから。
 多分おそらく、津波を過小評価して海辺に見に行ったり、あまり逃げなかったりして亡くなってしまった人というのは、少なくない人数いると思うのですが、この映像を見れば、もう津波注意報が出れば一目散に逃げるぐらいの心づもりは出来ますよね。
 そしてそれは、教訓にするという意味では大変有効な方法だと言えるでしょう。
 
 宮城県の気仙沼に伝わる津波の恐ろしさのお話を「まんが日本昔ばなし」で放送していたという話がありまして、こちらにアップされていますけど、これは、口伝ではなかなか伝えにくい津波の恐ろしさというモノを、お化けのようなモノで強調した結果なんだろうと思います。
 「津波はこわいんだよ」と言うだけでは、実感がわきませんから、そこに「お化けに連れて行かれる」みたいなコトで恐怖を強調して、教訓としているワケですね。
 昔の人の知恵でしょう。
 
 でもこれからは、この映像を見せればいいワケです。
 それは大変貴重と言えるかもしれません。
 とてもとても悲しいコトではありますが、この映像はしっかりと保存して、次の世代に伝えいかなければならないですね。
 
 
 ところで辻元首相補佐官の話ですが、とりあえず阪神大震災での話はデマだというコトのようですから、デマだと言っておきましょう。
 多分ビラが本当に配られていたら、さすがに1枚ぐらいは残って、ネットにアップされているでしょうからね。
 内容が内容だけに、保存している人がいてもおかしくありません。
 
 また、ピースボードが救援物資を横流ししているというのも、ほぼデマでしょう。
 いくら辻元議員が創立者であったとしても、いまは離れていますし、NGOが政府がやるべき仕事を仕切っているとは、NGOの性格からしてちょっと考えられません。
 ピースボードがピースボードとして集めた物資を横流ししているというのでしたらまだ信憑性もありますが、公的機関のモノをNGOが仕切るというのは、ちょっとあり得ない話でしょう。
 
 辻元議員もピースボードも、やえは好きじゃありません。
 というか嫌いです。
 批判されてしかるべき存在です。
 特に、自衛隊の海外派遣に反対と言いながら、自分たちの船は自衛隊か守れと平然と言う厚顔無恥さは、国益を損なうコトにしかなりませんから、ピースボードとかいう反日団体は即刻消滅してもらいたい団体ではあります。
 しかしデマはいけません。
 ここはキッチリと分けて考えなければならないでしょう。
 
 ところで、ピースボードとは別で、物資が一時保管所にあるのに、被災地に届いていないというのは、これなんなんでしょうかね。
 まぁ考えられるコトとしては、人手が足りないとか、どこに何をどれだけ届ければいいのか整理がついていないとか、キッチリ公平に分配させなければならないと思っているとか、こんな感じでしょうか。
 どれにしても政府が無能である査証ですけどね。
 いまだに避難所ごとに公務員の責任者を置けていないようですから、この後手後手の対応で、ますます被災者は不便な生活を強いられるワケです。
 無能政府は罪ですね。
 
 
 理論的に一番ヤバイのは代謝がある内部被曝じゃなくて、α崩壊する貼り薬のつけっぱだよね
 
 ごめんなさい、なんのコトなのかよく分からないので、もしあれでしたら教えていただければと思うのですが、ともかく放射能というモノは実はわりと身近なモノだというコトは知った方がいいでしょうね。
 レントゲンはもちろん、ラドン温泉とかラジウム温泉もありますし、そもそも自然から日常的に放射線を浴びていますし、黄砂にも含まれていますし、飛行機に乗っても通常より高い放射線を浴びるワケです。
 またアメリカや中国なんかが自国で放射性物質が検出されたとか言ってますが、そもそもこのような国々は昔大気圏内で核実験しまくって、放射性物質を世界にばらまいた第一人者なんですから、まずその責任を取ってからにしろと言いたくなります。
 ちょっとでも放射線を浴びればアウトかのように思っている人もいるようですが、そうではないコトは事実として知っておくべきコトです。
 危険なモノとして知っておくべきコトですが、不要におそれる必要もないというコトです。
 塩などと一緒で、正しい知識さえあれば、適切な対応が取れるのですから。
 
 
 残念ながら一部の放射線物質は放射線によらずに人体に影響を与えたりします。良く話題になるヨウ素(ヨード)
ですが、あれは過剰摂取によって甲状腺ホルモンの働きを抑制し、人体に異常を起こします。今現在飛散している
量なら問題ないとは思うのですが、放射性ヨウ素を吸収しないためにヨードを摂取するという話をよく聞きますので、
長期のヨード摂取はそれはそれで問題有りだということも覚えていて欲しいです。
 
 あれ?
 そうなのですか?
 甲状腺がんは放射線によって発症してしまうモノだと思っていたのですが。
 ちょっと後で詳しく調べておきます。
 
 
 風評被害を払拭するためにも今後東電の全社員食堂で被災地方面の農産物や海産物を使い続けると発表して欲しいね
 
 まぁそれはひとつの手なんでしょうけどね。
 でも最近は大手スーパーとかでも、被災地方面の野菜の特売とかはじめていますよね。
 いいコトだと思います。
 ただひとつ、この手のコメントとか、まとめブログとか見てて思うのは、さすがに販売禁止させられるようなモノまで食べろと言うのは違うんじゃないですかとは思います。
 そこは冷静になりましょう。
 もちろん農家には東電が保証するのでしょうから、風評被害とは別で考えるべきです。
 というか、風評被害とは事実と事実でないコトがごちゃ混ぜになるから風評被害になるワケで、ここはキッチリと分けて考える必要があるでしょう。
 
 ネットはひとりひとりが発信者です。
 その言葉がデマになってないか、もしデマなら、それによって傷つく人がいるという想像力を持って、責任を持って発言しなければなりません。
 自分はマスコミじゃないから責任は無いとは、絶対に言えません。
 ここのところをよくよく考えてもらいたいです。
 



平成23年4月8日

 いま国会議員がやるべきコト、出来るコト

 今日の更新は、実は先々週ぐらいに書いていたのですが、ちょっといろいろあって今まで載せられなかったモノです。
 放射能の読み方とか、そういうの優先させましたからね。
 ので、ちょっと時間的に古くなっているのですが、それぐらい前の話だというコトで読んでいただければと思います。
 よろしくお願いします。
 
 右も左も逝ってよし!!
 バーチャルネット思想アイドルのやえです。
 おはろーございます。
 
 衆議院議員と参議院議員、まとめて国会議員と言いますが、こういう肩書きに対して、みなさんどんなイメージを持っているでしょうか。
 おそらく多くの人は、この肩書きさえあれば威張り散らしたい放題で、だいたいなんでも自分のやりたいコトができ、多くの特権を持っている、という感じではないかと思います。
 だから今回の震災に関しても、まともに働いていない議員に対しては、何をやっているのかと憤っているのでしょう。
 もちろんそういう怒りは当然だと思いますが、ただ、実は国会議員という肩書きがあっても出来るコトというのは限られているというのはあります。
 ですから、普段キチンと仕事をしていない議員は、こういう時に無能になってしまうワケです。
 
 言ってみれば、衆議院議員と参議院議員というのは資格です。
 もちろん厳密には違うのですが、イメージとしては弁護士資格とかと同じように考えてもらっていいです。
 つまり、その資格を取っただけでは仕事があるワケではなく、その先に自分から動いて仕事をとってきてはじめて仕事になる、というイメージです。
 国会議員というだけで立法の仕事もありますが、しかし自分から動かなければ、ただ本会議で賛否を表明するだけで、それ以上の仕事をしようと思えば、立法関係でも行政関係でもその他の関係でも、国会議員は自分から動いて仕事を作らなければ仕事にはならないのです。
 
 例えば、行政機関とのコネクション作りです。
 役所にはどんな部署があって、そこではどんな仕事をしていて、どんな官僚がいてというコトを知っておき、またいざという時はすぐに連絡が取れる、時にはちょっと無理なコトも聞いてもらえるようコネクションを作っておくという、環境整備です。
 これは非常時の時だけではなく、例えば議員立法を作ろうという時に適切なアドバイスを受けるためとか、地元の支援者が困っている時に適切な行政サービスを紹介するためとか、もし副大臣や大臣になった時に組織を掌握するためとか、いろいろと理由も目的もあるワケです。
 国会議員は厳密には立法府の一員ですが、同時に国民の代表という性格もあるため、こうやって幅広いニーズに応えるための準備というのも大切な仕事の1つなのです。
 
 しかしこれらは、自分から動かなければ出来ません。
 国会議員になったからといって、黙ってれば仕事が舞い込んでくるワケでも、コネクションが増えるワケでも、役人が寄ってくるワケでもありません。
 制度設計上、政務三役と呼ばれる行政機関に入れば役所や役人は付いてくるコトにはなっていますが、その役から離れればそれまでです。
 役人も人間なのですから、政務三役の肩書きがあれば従いますが、そうでなければ付き合う義務も義理もないですからね。
 ですから、ただの衆議院議員や参議院議員という立場だけの場合にいかに仕事が出来るかというのは、行政府に入っている時ではなく、普段いかに能動的に動いているかにかかっていると言えるのです。
 
 そういう意味で、民主党の議員は本当にダメダメです。
 普段は自分から何もしようとしない、というか小沢チルドレンなんて小沢一郎の言うコトを聞くだけが普段の仕事ですから、自分で何かしようという発想すらないワケですし、まして民主党全体の性質として、役所や役人は叩く存在であり、権力を傘に言うコトを聞かせるだけの存在だと思っていますから、普段からのコネクション作りなんてはじめから頭にないのでしょう。
 だから、いまのいざという時に全然役に立たないのです。
 
 支援したいが…自民「野党に限界ある」民主「国会に来てもやることない」
 
 長期政権で培った独自の人脈を活用するケースもある。大島理森副総裁は16日、日本経団連の米倉弘昌会長を訪ね、被災県の災害対策本部から必要な支援物資の要請を受ける「ホットライン」の開設を要請。米倉氏が即決し、政府を通さず、被災地と経団連を直接結ぶルートが開けた。
 ただ閣僚経験者の一人は「アイデアを出しても、野党にできることには限界がある」とも語る。
 民主党議員の対応は「二極化」している。政務三役ら政府で要職に就く民主党議員は「震災発生から1週間で計10時間ほどしか寝ていない」(首相周辺)と多忙だ。
 一方、政府外の民主党議員にはもどかしさが募る。民主党は、政府が震災や福島第1原発事故への対応に専念できるよう、個別に省庁に働き掛けるのを自粛している。「専門知識もないのに役所に乗り込んでもかえって邪魔になる」(民主党参院議員)との判断からだ。
 だが、中堅の衆院議員は「地元で募金をしても『何をやってるんだ。国会で震災対応をしろ』と言われるが、国会に来てもやることがない」と困惑気味だ。
 
 民主も本音でしょうね、「国会に来てもやることがない」とか「専門知識もないのに役所に乗り込んでもかえって邪魔になる」というのは。
 いかに普段は仕事をしていないかという裏付けです。
 これが自民党の場合は、いわゆる族議員なんて言われますが、その分野に深い専門知識を持っている議員さんがいますから、その知識と行政的な知恵、例えばここの法律のこの部分は普段の法運用とは違うけど、こりように応用・適応すればなんとかなるだろうという、そういう政治的な運用知識を持っていますので、それを役所に直接伝えて行政を動かすというコトが出来るワケです。
 また役所には、そこまで大きくないコトでしたら役人が権限や決定権を持っている事項というのも多いですから、そういう仕組みや、その権限がどこの誰にあるのかを知っていれば、その権限を行使するように直接働きかけも出来ます。
 ここが百戦錬磨の自民党と、役所を見下すしかしてこなかった民主党との違いが出ているワケなのです。
 
 例えばさっきの記事の反応のまとめにあるのですが、
 
@nishy03 西村やすとし
福島県郡山から、田村市方面、いわき市方面、南相馬市方面に分かれての、
ガソリンのタンクローリーによる配送の手配ができました。被災者の皆さん、もうすぐ届きます。頑張って下さい。
 
ecoyuri 小池百合子
@yusakuraki 仙台の友人が確保したわずかな燃料を仙南病院に分けてもらうようにお願いしました。
ひと山越えれば行けるそうです。往復分のガソリンもかかりますが、
「行きますよ!」とのこと。もっとシステマティックに対応したいところですが。
 
SatoMasahisa 佐藤正久
今日は福島の方々からの涙の訴えを3度頂いた。地震災害、津波災害、原発災害に加え
て風評災害の4重苦。佐藤ももらい泣きしてしまった。安全地域でもどんどん避難してお
り、大変な状態の病院も。要望を叶えれたものもあれば、明日、再度チャレンジしなければならないものも。頑張らねば
 
morimasakosangi 森まさこ
@mi_peak ガソリンの供給は、まず、20qから30q圏内、… と、優先順位をつけて
提供すべきと提案したが、そうなっていないとも聞く。薄く広く提供していたら、
最も困っている地域に十分に届かないのではないか。引き続き要望する。 #jnsc
 
TAIRAMASAAKI 平将明
自民党の提案を受けて、与野党が「各党震災対策合同会議(仮称)」の設置に合意した。
与野党が災害復旧に向け、建設的議論をする場とする。
政府は、その実現可能性を精査し、実現に務める。
 
konotarogomame 河野太郎
ガソリン続報。青森港に海路運び、南下始めます。被災地向けのタンクローリーは
緊急車両の許可証がすぐ出るようになりました。各県と経団連のホットライン
を立ち上げ、官邸を通さずに直接要望が産業界に入り、対応できるようになりました。
 
 これらは全て自民党の議員さん達ですが、こうやって、政府に入ってなくても、独自に動くコトができます。
 これは、いざとなれば役所に直接コンタクトできるからです。
 例えば西村やすとし先生のガソリンタンクローリーの話にしても、輸送ルートを確保するためには、なんらかの行政アクセスが必要でしょう。
 道路にしても鉄道にしても船にしても、この状況ではそう簡単には入れないですからね。
 ちょっと真偽が確かめられないのですが、こういう話もあるようです。
 
745 :日出づる処の名無し:2011/03/16(水) 23:13:29.99 ID:3doZUgN1
>>726
個別で動くよりも
自民党の連絡すると、スムーズに届けられるのではないでしょうか?
 
30 :放置エリアの救援は、バカ政府を排除したほうが良さそうだ。
:2011/03/16(水) 22:55:59.81 ID:VkyVLlzT0
民主党があまりに機能しないので、とうとう自民党と財界が
「救国戦線」を立ち上げて、独自に国民をサポートしはじめました。まあ、これは緊急事態なので正しい選択でしょう。
青森県知事曰く、
「なんど政府に生き残った青森港を使って、救援してくれと言っても、動いてくれないので、自民党に連絡したら、船が着始めた」だそうです。
政府を介在させずに、陸路からの物資輸送も財界と自民党と首長の連合軍で頑張っているようです。
 
 いまの青森県知事も、衆議院議員時代は無所属の会の自民党寄りでしたし、なにより普段の民主党と自民党の対応を見ていると、これもあり得る話かなとやえは思います。
 政務三役と言っても所詮3人しかいないワケで、この人数で役所の全てを把握するコトは特にこの非常時で混乱している場合には難しいでしょうから、手が回らない状態になっている可能性は高いと言えるでしょう。
 まして自分からは何も動かない民主党議員ですから、役人が情報を持って行かないと知ろうともしないのですから、もはや把握という段階すら達してないワケですし。
 そして本来なら、自民党ならと言ってもいいかもしれません、政務三役でない一般議員も直接役所に働きかけて、三役とは違う視点から、時には「裏技」も駆使しながらこういう細かい許可や裁可を出させるようさせるのです。
 しかし先ほども言いましたように、民主党議員にはその知識も技術も手腕もありません。
 また役人からしても、何かあったらすぐに役所に責任を押しつける政務三役ではない民主党議員よりも、最後のところでは責任を取ってくれるだろうぐらいには信頼関係が築けている自民党議員の方が、許可を出しやすいというのもあるかもしれません。
 さらに自民党は、役所だけでなく普段から民間企業などともコネクションを持っているから、物資を集めたり、人手を借りたり、業界団体に働きかけたりと、様々なコトが実行可能なのです。
 役所と民間業界団体の連絡役や、企業との直接に橋渡し役も、自民党ならではの技と言えるでしょう。
 ここは自民党と民主党の大きな違いなのです。
 
 普段から真面目に「議員活動」をしていれば、こういういざという時ほど生きてくるワケです。
 民主党議員はいかに、自分の地位におんぶにだっこだったかというコトでもあるでしょう。
 こういう時だからこそ、普段の仕事ぶりが重要になってくるのです。
 いまが民主党政権だったというのは、本当に国民にとっては不幸だったと言わざるを得ないところでしょう。
 



平成23年4月11日

 統一地方選挙の結果について

 皆さんもうご存じだと思いますが、昨日は統一地方選挙の前半戦が行われ、都道県知事と道府県議員、並びに政令指定都市の市長とその市議の選挙が行われました。
 世間では都知事選挙の結果について色々と言われているみたいですが、とりあえずやえとしましては、故郷である広島市の市長選挙の結果について一言言っておきたいと思います。
 
 広島の市長は、戦後からずっと保守系が当選できなかった選挙でした。
 特に自民党が立党してから一度も自民党が推す候補が勝てないという、広島県の衆議院では現在を除きほぼ自民党が独占してきたという事情がありながら、広島市長だけはいつも保守が勝てないという、おそらく全国的にも珍しい選挙区でした。
 特に小選挙区になってからの広島一区(選挙区が広島市のみの中心部)は今でも自民党の議員さんが守っているという地域なのですが、まぁここの岸田文雄先生は特別選挙が強い人ではあるのですけど、それなりに保守層も多い地域ではあるハズなのですが、それでも市長だけは保守系が勝てない選挙区でした。
 前市長の秋葉忠利氏や、その3代前の山田節男市長は社会党の国会議員だったぐらいですから、かなり革新系(左翼系)が市長を独占していたかが分かるかと思います。
 
 その理由はいくつかあると思うのですが、県議市議そして衆議院議員は完全に自民党系が握っているだけに、毎回保守系の候補が複数乱立してしまい分立選挙になってしまっていたコトがまず1つ。
 そして広島という原爆やそれに伴う平和というモノを象徴する都市なだけに、また市民の投票動機が他の選挙とは違っているというコトももう1つ挙げられるでしょう。
 広島をどうするかというコトよりも、核兵器と平和をいかに世界にアピールするかという点を一番重視して、いままでの選挙は行われてきて、そして広島市民もそこを重視して投票していたワケです。
 
 しかし正直、実際のところ、だからどうしたっていうのはありました。
 理想としては被爆地ヒロシマから反核と平和を訴えるというのは大切なコトだとは思いますが、しかしそれだけが市政ではありませんし、それだけをやってもそれは自己満足にしかならないでしょう。
 どうしても戦争とかそういうモノは国家レベルの話ですから、市レベルで満足していては何もなりません。
 実際、具体的に何か成果を歴代の広島市長は挙げてきたのかと問われれば、広島市だけの力で成し遂げた成果は無いと言っても過言ではないハズです。
 軍縮とか核不拡散とかは、もう国家レベルのお話です。
 それでも広島市長というのは歴代、そういう、言っては悪いですがパフォーマンス的な平和や反核的な仕事ばかりに力を入れてきたと言わざるを得ないのです。
 
 そしてそれは、広島市の経済的発展という意味において、左翼系市長の下ではだいぶおざなりにされてきてしまったのです。
 最近は言いませんが、一昔前はよく「札仙広福」と言いまして、これは札幌・仙台・広島・福岡という、東京・名古屋・大阪に次ぐ大都市圏という意味の括りなのですが、この中を見比べても、いまでは札幌と福岡に、広島は大きく水をあけられている状況です。
 これは広島の発展を重視してこなかった、平和都市というコトにしか目を向けようとしなかった広島市政の大きな失敗だとやえは思っています。
 今回の広島市長選挙というのは、ここの広島の経済をどうするかというのも、大きなポイントになったのではないかと思います。
 
 そんな中、ついに広島市に初めての自民党系の市長が誕生しました。
 松井新市長ですが、そういう意味からやえは、特に広島の経済発展について新市長には期待したいと思っています。
 これからは今までと違う広島を見せて欲しいなぁと期待しているところなのです。
 
 ところで広島市長選挙は、これらとはまた違う面もありました。
 それは民主党vs自民党という戦いです。
 今回の統一地方選挙の知事と政令市長という1人を決める選挙において、いくつかの選挙区で対決選挙が行われました。
 東京都知事選もその1ですが、中でもほぼ一騎打ちの様相を呈していた選挙区が4つぐらいあり、広島市長選挙はその1つでした。
 
 石原都知事大差4選、民主「対決型」全敗
 
 東日本大震災を受けた地域防災や危機対応が焦点になる中、国政での与野党対決型となった東京、北海道、三重の3知事選は、いずれも自民党が支援する候補が民主党系候補を破った。
 
 政令市長選は、与野党対決型の札幌で民主党などが推薦する現職の上田文雄氏(62)が当選。広島は自民、公明両党が推薦した松井一実氏(58)が、民主党県連などが支援した候補に競り勝った。静岡は、自民党推薦の田辺信宏氏(49)が、地域政党「減税日本」の公認候補を破った。
 
 北海道と三重の知事選、そして札幌と広島の政令市長選です。
 結果としては、民主の1勝3敗です。
 また、東京は候補乱立ではありますが、自民党の石原知事に対して民主党はワタミ前会長の渡邉氏を推していましたので対決選挙にもなっていまして、そしてここでも自民党の勝利。
 よって記事にもありますように、今回の地方選挙、特に選挙制度が国政に似ているという意味で、国政に影響が出るであろう知事と政令市長選挙では、自民党が圧勝したと言えるワケです。
 
 今回の震災は、政局的な意味で言えば民主党にとってはチャンスでした。
 天災はもはや運不運の話で、被災地にとっては不幸でしたとか言いようのない、だれのせいでもない話ですが、それだけにでは政府はどう対応するかがポイントになるワケで、政治にとっては不測の事態こそが見せ場といえる局面でした。
 逆に言えば、こういう時のために政府というモノがあると言っても過言ではないですからね。
 実際、前原前大臣や菅総理自身の外国人からの献金問題も、いまではそんなコトありましたかぐらい忘れ去られてしまっている出来事、大地震が無ければ地方選後にはもう解散かなんて言われていたぐらいですから、政局的に言えばこれは民主党にとってチャンスだったワケです。
 しかし民主党はこれを一切生かし切れなかったと言わざるを得ません。
 それが国民の判断に如実に表れたのが、この知事選と冷静市長選でしょう。
 
 そしてそれは、国民自身にとっての不幸でもあるワケです。
 
 震災対応がうまく出来ていれば、もっと国民は落ち着いて復興に目を向けていられたワケですし、それは素直に選挙の結果として表れていたコトでしょう。
 誰だって天災は不幸な出来事で仕方ないコトで誰のせいでもないと分かっていますから、それなりの不幸は許容できますし、だから対応についてをシッカリしてほしいと願うワケです。
 しかし菅総理と民主党は、それに応えるコトが出来なかったのです。
 いえ、菅民主党はそれに応えられなかっただけでなく、失望すらさせられたとという結果だったと言えるでしょう。
 
 民主敗北、政権に打撃=小沢氏系に「菅降ろし」の声も【統一選】
 
 民主党の岡田幹事長は11日未明、選挙結果について「非常に残念だ」と肩を落としたが、自らの引責辞任は否定した。一方、自民党の石原伸晃幹事長は10日夜、「国民は、菅政権にハンドリングを任せて大丈夫か、ということを示したのではないか」との見方を表明。公明党の山口那津男代表は「菅政権は国民の評価を得られなかった。震災に対する評価が今回の選挙に表れている」と指摘した。
 
 そして一番の不幸は、ここまできても菅総理は「石にかじりついてでも」総理の座から降りようとしないコトでしょうね。
 参議院選挙でも負け、それまでの衆議院補欠選挙や知事選なども負け、統一地方選挙でも負けて、ここまで民意が出ておきながらスルーし続ける民主党っていう政党はスゴイですよね。
 「直近の民意」とはどこに行ってしまったのでしょうか。
 
 結果を出しやすく見えやすい有事の際においてもこれなのですから、もはや完全に民主党は国民の支持を得られていないという結果がまざまざと出たワケです。
 あとはもういつ解散総選挙か、と考えるしかありません。
 ただこれは、被災地での復興の問題がありますからなかなか今年は難しいかもしれませんが、しかしそれはそれで、その間ますます国民が不幸になるというコトも考えなければならないでしょう。
 選挙や政治は、スポーツや文化などの娯楽ではありませんから、やるときはやらなければならないと思います。
 
 今日で大地震から一ヶ月。
 哀悼とお見舞いを申し上げまして、政治についてもシッカリと正面から考えていかなければならいなと思います。
 
 明日は東京都知事選について一言言おうと思います。
 



平成23年4月12日

 東京都知事選挙の結果について

 東京都知事選は、予想通り石原慎太郎都知事が4選目を果たしました。
 今回の選挙は震災の最中というコトもあり、特に東日本ではあまり選挙熱が高まらない選挙になったと言えるでしょう。
 そんな中で石原知事はその実績で着実に票を積み重ねた結果なのでしょうか、次点の東国原前宮崎県知事に大差を付けて当選しました。
 
 今回の都知事選でいくつか気になった点があるのですが、まずは、民主党が支援した渡邊前ワタミ会長です。
 やえはこの人よく知らないのですが、不思議なのが、この人を民主党が支援したという点です。
 だってあの外食産業のトップだったってコトは、この人は経営者の立場であり、まして居酒屋さんとかの外食産業というのは、基本的にはアルバイトを使って成り立つ商売で、また社員にしてもわりと過酷な労働条件が多いと聞くような業種ですよね。
 つまり労働組合とそのボス組織である連合にとっては、渡邊氏というのは、どちらかと言えば敵のイメージがある人な気がしてならないのです。
 その連合を支持母体としている民主党は、どうしてこういう人を支援できたのでしょうか。
 一時期民主党は蓮舫大臣を擁立するとかいう話もあったようですが、今の民主党の有様だと勝てないと判断してやめたようですから、もしかしたら支援相手は誰でも良かったのかもしれません。
 東国原さんにも要請したかもしれないとは考えています。
 でもそれにしても、普段の主張とは違うような人まで支援するというのは、やっぱりちょっと納得しづらいモノがありますよね。
 それほどもう民主党は組織がガタガタになっているというコトなのでしょうか。
 もしやえが知らない民主党の理由があれば教えてください。
 
 
 次に東国原さんについてですが、やえは個人的には嫌いではありません。
 宮崎県知事時代は頑張ったと思っています。
 でも、でもですね、宮崎県知事を辞めるのが早すぎたと思っています。
 もちろん知事の任期は4年ですから、そこで辞めるというのはその人の自由です。
 ですからもし4年で辞めて、政界引退するとか、しばらく休憩するというのでしたら理解も出来ました。
 しかし東国原さんは、都知事になるために宮崎県知事を辞めたとしか言いようのないタイミングでしたから、それはちょっと違うんじゃないかなって思うワケです。
 
 なんのために東国原さんは政治家を目指したのでしょうか。
 政治家になると志した動機や意味があるハズです。
 でも、このような行動に出られると、それが全然伝わりません。
 いえ、伝わらないだけでなく、結局この人が政治家になったのは政治家になりたかっただけなんじゃないかとしか思えなくなってしまうんですね。
 もっと言えば、「権力が欲しいだけの人」という見方しか出来ないワケです。
 
 宮崎の発展を出身の人間として寄与したいと思うのであれば、出来る限り県知事を続けるべきだったでしょう。
 またもし、発展させるにしても知事の立場に限界を感じるというのであれば、宮崎から国会議員に出るというのも手だったと思います。
 それなら主義主張に一貫性がありますから、納得もできようモノだと思います。
 しかし都知事っていうのは、どうしても「なぜ」と思わざるを得ません。
 そして、震災のせいというのもあるのでしょうけど、その疑問を東国原さんが答えてくれるコトはありませんでした。
 知名度は抜群だったと思いますが、いまいち票が伸びなかったのは、その辺の理由があったのではないでしょうか。
 なんのために宮崎県知事になったのか、そしてなぜ東京都知事になりたいと思ったのか、ここの理由と、そして宮崎県知事と東京都知事の関連性が全く分からなかったというのが敗因なんだと思います。
 
 日本のトップである総理大臣になるというのは大変です。
 大統領制ではありませんから、一回の選挙に勝てばいいというワケにはいかず、まず国会議員になって、その中で何回も何回も選挙に勝ち続け、さらに同じ国会議員の中で出世争いをして、時間とハードルをたくさんくぐりぬけて、やっと総理大臣になれるワケです。
 こういう仕組みに批判もありますが、やえはそれぐらいのタフさを身につける方が国のためになると思いますからいいと思うんですが、やえが想像するに、東国原さんはこういうハードルをくぐり抜ける行為がイヤだったんじゃないかと思うのです。
 「もっと手っ取り早く権力が欲しい」、そういう考え方があったのではないかと、行動を見て思わざるを得ないのです。
 
 まぁこれは分からなくもありません。
 それだけ首長というのは権限が強いですからね。
 だから元国会議員が首長の選挙に出るというのが近年流行っていますから、それはそれでひとつの考え方なのでしょう。
 しかしだからこそ、「なぜ宮崎県知事になったのか」そして「なぜ東京都知事に鞍替えしようとしたのか」という点をキッチリと説明しなければ、ただの権力欲だけと見られてしまうコトに成りかねません。
 「自分の理想を現実するために、権限の強い首長に立候補する」というのは分かりますが、しかしだからこそその理想をキチッと語らなければならないでしょう。
 宮崎県知事に立候補した時は分かりました。
 東国原さんの故郷であるのですから、その故郷を発展させようとさせたというのは、よく分かります。
 それだけに、その理想を捨てて東京都知事になりたいというのであれば、宮崎を捨てた理由以上の理想を語ってもらわなければ納得は出来ないでしょう。
 正直この部分は今回聞こえてきませんでした。
 やえとしましては、東国原さんは3期ぐらい宮崎県知事を務められてから、その後、大きな構想の下にステップアップを目指したら良かったのに、と今でも思っています。
 
 
 さて4期目の石原都知事ですが、なんかネット上でのバッシングがすごかったようですね。
 と言ってもやえのまわりではそういうの無かったのでいまいちアレなんですが、どうなんですかねとは思います。
 落選運動に関しては語ると長くなりそうなので次の機会というコトにしますが、結局今回の都知事選挙の争点というモノは、全然見えてこなかったです。
 例の表現規制に関する問題も、原発問題も、ネットだけならともかく、全体としては争点という程では無かったというのが正直なところでしょう。
 
 表現規制については、業界がキツい自主規制をはじめるとかいう話もあるようですが、しかしコンシューマーゲーム業界やアダルトゲーム業界の動きは特に無く今まで通りなワケで、では出版業界の対応との違いはなんなのかと考えれば、普通は条例ではなく、業界の対応がおかしいとなるでしょう。
 条例がおかしいのであれば、条例に関連する全ての業界が対応せざるを得なくなりますからね。
 もしくは、すでにコンシューマーゲーム業界やアダルトゲーム業界は表現の自由がなくなっている状態になっていたか、です。
 いま出版業界だけが慌てて対応しているというのは、いままでの対応がなっていなかった結果でしかないとしか言いようがないでしょう。
 まぁこの中身については過去に散々言っているのでこのぐらいにするにしても、結局原発問題もどの候補者がどのような主張だったのか、そもそも差があるのか分からないぐらいでしたから、ここも「争点」とはならなかったと言えるのではないでしょうか。
 そもそも有権者にしても、原発問題は全然整理できていませんよね。
 今すぐ原発をやめろというのか、これから作る分はやめろというのか、原子力に代わる発電方法はどうするのか、果たしてそれで足りるのか、ドイツでは結局自国ではやめるけど原子力で発電しているフランスから買っているのが現状だがそれでいいのか、などなど、考えるべき点はいっぱいあります。
 正直いまはまだヒステリックになっているとしか言いようがないですから、この問題は一度落ち着いてからじっくりと考えなければならないでしょう。
 そしてそれは、やっぱり今回のこの時期での選挙の争点とはなりにくかったと言えるワケです。
 
 そして争点が無いと、どうしても現職が強いというのは、地方選挙の特徴です。
 本来なら、五輪とか新銀行東京とかが争点としては相応しかったのかもしれませんが、これも震災のせいで争点にしにくくなりましたね。
 
 やえの石原知事の印象と言えば、どちらかと言えば石原さんは、緊急時には強いリーダーとは言えるでしょう。
 普段からあまり他人からの批判をおそれない人ですから、自分が決めれば素早く決断を下せる、わりと日本では珍しいタイプの政治家だと思います。
 だからまぁ善し悪しなんですよね。
 決断力があるので、失敗する時は失敗すると。
 またもともと国会議員でもありましたから、官僚の使い方はうまいと思います。
 レスキュー隊の件で海江田大臣にクレームを付けたように、政府の大臣などの高官にも一切物怖じしないですしね。
 こういうところは、政府が無能な今だからこそ、頼もしいとは思います。
 
 とりあえず結果も出ましたから、石原都政はあと4年続きます。
 と言っても、ご高齢ですから倒れられたりすると、もちろんもう一度選挙になりますが。
 でも、とりあえずこの震災と復興については、石原さんのリーダーシップに期待したいと思っています。
 



平成23年4月13日

 落選運動について一言

 今日はちょっと落選運動に関して一言言っておこうと思います。
 
 落選運動とは、選挙の際に「○○候補を落とそう」とか「○○候補には入れないようにしよう」という感じのコトを訴える運動ですね。
 実際今回の都知事選挙では、特にツイッターなんかで「石原候補を落とそう」という書き込みがたくさんあったと聞いています。
 落選運動という動きや言葉自体は数年前からありましたが、最近特にこういう運動が盛んになってきつつあるように思います。
 ただし、結論から言うと、やえはこの手のモノは全部禁止にした方がいいと思っています。
 
 日本の選挙の場合、公職選挙法という法律で、選挙運動に関しては様々な制限がありまして、いまの法律では例えばネット上で「○○候補に投票しよう」という呼びかけは、誰が行ったとしても禁止行為となっています。
 今のところネットも法律上は「図画」と整理させていて、選挙のための図画は選挙運動員であっても、それ以外の手であっても、配布するコトは一切禁止されています。
 自分は候補者と一切関係ないし、勝手にやったコトだと言っても、禁止は禁止なのです。
 国政選挙の際には、決められた枚数だけビラを配るコトが出来ますが、これは選挙事務所が作ったビラを選挙管理委員会からもらえる証紙というシールを貼った上で配るモノですから、事実上一般人がビラを作って配布するコトは事実上禁止です。
 証紙が手に入りませんからね。
 そしてそれと同じ理屈で、ネット上で「○○候補に一票を」と書くのも公職選挙法違反となるのです。
 
 しかしいまのところ「○○候補を落選させよう」と言うのは、一応セーフだと言われています。
 公職選挙法は「当選させるための行為」を規制するためのモノであるとされているので、落選が目的の場合はここに含まれないという解釈です。
 よって例えば候補が2人しかいないような選挙の場合や、3人いるけど落選させる目的の対象が2人で、事実上1人の候補を当選させる目的と捉えられる行為は、選挙運動となり、禁止行為となるのでしょうけど、今回の都知事選挙の場合は、候補者がいっぱいいましたから、例えば石原候補を落選させようはセーフだと解釈されるのだろうと思われるワケです。
 
 でもやえは、さっきも言いましたように、これ禁止した方がいいと思っています。
 当選させるにしても、落選させるにしても、選挙の結果が動くコトには変わりないからです。
 誤解されないように言っておきますが、やえはネット上での選挙活動を禁止しろと言っているワケではありません。
 そうではなく、現在の法律の下では禁止なのですから、公平性を保つなら禁止が妥当ではないかと言っているのです。
 公職選挙法は、かなり禁止行為が多い法律ですが、これも全て選挙の公平性を保つためであり、例えばさっき言いましたビラについても、無制限でOKとしていればお金を持っている候補が有利になりますから、こういう差を無くすための法律であるのであれば、結果に繋がる行為は全て公平に禁止すべきモノは禁止すべきではないと言っているのです。
 
 政策について意見を言うのはいいんですよ。
 「都条例が気に入らないから石原都知事は都知事として不的確だ」と普段から言うのは、別に問題ありません。
 その人個人の尊重されるべき意見でしょう。
 しかし今回の話はそういう話ではありません。
 どちらかと言えば、形式的なお話、技術的なお話です。
 
 「都条例が気に入らないから石原候補は落選させよう」はOKなのに、
 「都条例が気に入らないから東国原候補を当選させよう」はNGというのは、やっぱりおかしいですよね。
 
 やるなら公平にすべきです。
 ネット上での選挙に関する運動を全面的にOKとするなら、OKとすればいいでしょう。
 でも今のような形というのは歪んでいるとしか言いようがありません。
 真面目に政治を考えるべきだからこそ、公平性についてはキチンと考えなければならないでしょう。
 



平成23年4月14日

 コメントレス

 最近あまおちさんがツイッターで怒りまくっているようですが、放射能の差別に関するニュースは、本当に見るだけで腹が立って腹が立って仕方ないですね。
 一行ボードでも頂きましたように、福島からのゴミを自分が住んでいる市に持ってくるなと騒ぐ頭がアレな人達ですとか、それから千葉では、福島から避難してきた家族の子供が、子供同士で遊んでいたら、
 
 「放射線がうつる」「わー」と叫び、逃げていった
 
 とか、もう本当に腹が立ちます。
 これなんて、普段から親が放射能について無知丸出しのド低脳な会話などをしているから、子供がそのままを反映しているのでしょう。
 そしてこの手の輩は、何かで巡りめくって差別された時にはヒステリックに被害者ぶるんでしょうね。
 腹が立ちます。
 
 
 「放射線が距離の逆二乗の法則に従うなら、遠距離が強く汚染されてると仮定すると近距離は規格外に汚染されてないと説明がつかない」よね。これで政府の情報隠蔽論者をかなり否定できないかなあ? 風に乗った分も、似たような希釈定数みたいなのがあるだろうし。 まあそうまでして説得する価値があるのかは明言できないけどさ
 
 これ当然の話なんですよね。
 放射性物資に限らず、こんなのは黄砂でも花粉でも同じで、発生源にいっぱいあるからこそ遠くまで飛散するワケで、発生源が少なければそんなに多くは飛びようがありません。
 ただし綺麗な円のまま飛散するワケではないので、この距離にこれだけあるから総量としてはこれだけ飛んだんだという計算はなかなか難しいとは思います。
 
 ただ今の段階というのは、どれだけ飛んだかを知るっていうのはあまり意味がないような気がしてなりません。
 意味がないというと言い過ぎですので片手落ちと言った方が適切かもしれませんが、どれだけ飛んだか知ったとしても、その量が人体にどれだけ影響を与えるかを知っておかなければ、どれだけ飛んでいるかなんて知ってもまったく意味がありませんよね。
 ですから、まず知るべきは、放射線や放射性物質とはどれぐらいの量があれば人体にとって危険であるかを知るべきなのです。
 これを知らないのに、どれだけ飛んできたかなんて知っても、全く意味がありません。
 
 でも残念ながら今はこれが横行してしまっているんですよね。
 どれだけ放射線や放射性物質があれば危険なのかが分かっていないのに、ただ自分の思いこみだけで、もしくは数字の大きさだけを見て大騒ぎしているのです。
 その姿というのはあまりにも滑稽だと言うしかないでしょう。
 
 ただ政府が情報を隠しているという話は、菅直人がバカすぎるのが原因なので、どうも否定しづらいんですよね。
 だってこれですよ。
 
 原発周辺「20年住めない」=菅首相が発言、その後否定
 
 菅直人首相は13日、松本健一内閣官房参与と首相官邸で会い、福島第1原発から半径30キロ圏内などの地域について「そこには当面住めないだろう。10年住めないのか、20年住めないのか、ということになってくる」との認識を示した。松本氏が会談後に明らかにしたものだが、首相は同日夜、「私が言ったわけではない」と記者団に語った。
 
 こんな対応されれば誰だって疑心暗鬼になります。
 というか、今までの菅直人の言動を見ていると、これ、本人が言ったとしか思えないんですよね。
 まぁ100歩譲って菅ではないとしても、内閣官房参与という政府高官のセリフなのですから、結局同じコトです。
 もし20年住めないと科学的根拠無しに言ったのであれば、それは政府が率先して風評被害と差別を蔓延させようとしている行為でしかないですし、もし本当に何らかの根拠があってこう言ったのであれば、それは我々が知らない重大な事実が隠されているとしか判断するしかなくなります。
 だって少なくともやえが知っている限りでは、原発周辺はともかく、「内陸部に5万〜10万人規模の環境に配慮したエコタウン」を作らなければならないような規模の範囲ところまで20年間住めなくなるような状態になっているというぐらいの放射性物質が存在するなんて話は聞いたコトがありません。
 これはもう完全に広島以上ですし、チェルノブイリ以上ですよ。
 いったいぜんたい何を思って「20年住めない」などと言ったのでしょうか。
 もし無根拠でこのようなコトを言ったのであれば、クビだけでなく切腹モノです。
 こういうコトをするから、民主党政権、菅内閣は信用できないのです。
 
 
 報道がひと段落しつつあるようですから、今後はミンスはよくやった、よくやってるといった洗脳報道が主になるのでしょうね。ちょうどさっきの呆ステでミンスまんせー総括(まだおわってないのに)してましたし
 
 ホントですか?
 古舘伊知郎はホント国賊ですね。
 自分の主張がしたいなら、ニュースとか報道という看板をさっさと下ろして、雑誌か何かに投稿でもしていればいいんでしょうに。
 あの番組の最もイヤらしいところは、その看板なんですよね。
 昔は「ニュースステーション」、いまは「報道ステーション」  中立で事実だけを伝えますよと言いながら、中身は久米宏や古舘伊知郎のただのアジテーションですからね。
 
 
 民主党は前から票が取れそうなら誰でも支援してたような?
 
 民主党の行動に理由を求めるなんて・・・やえちゃんは何時からそんな夢見がちな女の子になったんだw
 
 なんだってー!?(笑)
 いや、まぁ民主党は節操無しではありますけど、その支持母体である労組がよく許したなぁと思うんですよね。
 多少の意見の違いなら、まだ大目に見るのかもしれませんけど、でもワタミ会長って労組の敵みたいな人じゃないですか。
 よく連合が納得しましたねと不思議だったんですよね。
 それとも、民主党だけが支援して、労組は知らん顔でもしてたんですかね。
 
 
 最近の総理の発言や行動が普通じゃないと感じるのは、あの人の素がああなのでしょうか? それとも、周りからなんの情報も何も入ってこなくて混乱してるのか、誰にも相手にされず、支持率も上がらず選挙も負けて、ちょっとおかしくなっているのでしょうか?
 
 どーなんですかねぇ。
 一部ではプレッシャーに耐えきれずに泣きじゃくっているとかいう話もあるようですが、でもこの人、いままで責任というモノを背負ってこなかった人ですからね。
 他人を責めるコトで名を挙げてきた人ですから、やはり総理の座は重すぎるとは思います。
 まぁそれは民主党全てにも言えるんですけどね。
 ぽっぽルーピー前総理や、前なんとか元大臣も、結局口だけでしたし。
 でもまぁ、なんていうか、顔つきはちょっとやばくなって気がしなくもないんですが、ただまともだったとしても早く辞めてもらいたいコトにはわかりありません。
 どう考えても完全に勘の処理能力を超えているのが現状ですから、続ければ続けるほど国と国民にとって不幸が続くだけなのですから。
 
 
 子供手当てを辞めなければ批判、やめれば批判、結局どっちなのよw
 
 え?
 当然、子ども手当を始めたコトが間違いだったんですよ。
 最初からマイナスなんですから、そこからいくら何をやったって批判対象にしかなりません。
 マイナスから0に戻したとしても、その間につぎ込んだ税金は戻ってきませんし、そもそもこれをネタに国民を釣って政権を取ったのですから、0にもどるコトなくマイナスなんですよ。
 衆愚政治を主導したというか、詐欺にもほどがありますよね。
 どっちもこっちも、はじめた時点でもうダメなのです。
 
 
 コメントすらされない四番手に涙←都知事選
 
 四番手って誰でしたっけ?  ドクターですか?  あの人どこまで本気で政治をしたいのか分からないんですよね。
 毎回都知事選挙出ていますけど、本気で政治したいなら、都議にも出ればいいんじゃないかと思っているんですけどねぇ。
 それで本気だと有権者が分かれば、それなりの反応はあるんじゃないでしょうか。
 
 とまぁ、都知事選の話はこのぐらいでいいでしょう。
 あの状況とメンバーなら石原さんが勝って当然と思いますので、それ以上の感想というのはありません。
 都条例については過去に散々やりましたし、いま言えるコトは、出版業界は一度頭を冷やしてから、他業界に見習ってシッカリと自分で対応するように努力をしてほしいと願うだけです。
 
 
 最後に、東国原さんの件についてメールを頂きましたので、ちょっとお話をしておきたいと思います。
 というのも、東国原さんが宮崎県知事を辞めたのは、口蹄疫の問題で責任を取って辞任したのであって、理由無く辞めたのではないという趣旨のメールを頂きました。
 この前やえが、東国原さんは権力ほしさに鞍替えしようとしたコトに対する批判のようなコトを書きましたから、それについてでしょう。
 
 ただ、どうなんですかね、これ、理由になりますかね。
 というのもやえは、宮崎の口蹄疫事件に対する東国原さんの手腕は良かったと思っています。
 それは確か当時やえも当サイトにおいて何度か書いたような気がします。
 民主党政権と鳩山内閣、中でも赤松農水大臣の対応はひどかったですからね、それに対して東国原知事は孤軍奮闘されていた、その頑張っていた姿はとても素晴らしかったとやえは認識しています。
 であれば、別に東国原さんが辞任する理由にはならないのではないでしょうか。
 
 政治は結果、結果論として被害が出てしまったから責任を取る、というのも分からないコトもないですが、口蹄疫の発生の原因が東国原さんに一切無い以上、そんなコトまで政治家が責任をとるようなコトになるのは、それは政治的にはマイナスと言わざるを得ません。
 言うなれば、どんな優れた政治家でも、天災が起きればそれで失脚するようでは、むしろ国民にとっては不利益にしかならないでしょう。
 優秀な人であればこそ、何か起きたときには先頭に立ってリーダーシップを発揮してもらいたいですし、それが終わった後も、引き続きリーダーとして国民や県民を引っ張っていくべきなのではないでしょうか。
 対応が大失敗したというのであれば、今の菅直人と民主党のようであれば辞めるべきだと思いますが、やえは東国原さんの宮崎県知事としてはそのような評価は持っていません。
 
 もし東国原さん自身が、口蹄疫の対応に失敗したと自らお認めであるというのであれば仕方ないですが、しかしその場合は、東京都知事選挙に出るというのは、かなりおかしいのではないでしょうか。
 自分の知事としての手腕が失敗であったと言っているのに、さらに人口の多い東京都の知事になろうというのは、かなり理屈としては通りません。
 また、自分としては対応を十分にやった、でも結果としては損失が大きかった、だから責任を取る、というコトでしたら辞任自体は致し方ないとは思いますが、しかしその後また政治家をやるっていうのでしたら、まずはもう一度宮崎県知事選挙に立候補して、その地元の有権者に自らの対応がどうだったのかを審判してもらうというのが筋でしょう。
 東国原さんが適切な対応をとったのかどうかを、それは当然地元の人たちが判断すべき、地元の人でないと判断できない問題なのですから、それを飛ばして東京都知事というのは理解できませんし、筋が通りません。
 やっぱり「なぜ東京都知事なのか」という部分が分からないですし、伝わらなかったんですね。
 震災のせいという不幸な出来事があったにせよ、おそらく多くの東京都民にはこのように感じられたのだと思いますし、そこが敗因なのではないかと、いま都民のやえとして思っています。
 
 ただやえは、東国原さんには政治家としての資質は十分にあると思っています。
 ただの目立ちたがり屋や権力を勘違いしているような人、例えば田中康夫氏とか阿久根市の元市長とか、その辺の人とは違って、政治に取り組む姿は本気だとは感じていました。
 それだけにキチンと筋を通せばなぁとは思うんですよね。
 期待しているだけに残念というところでしょうか。
 まぁ次の都知事選はもうさすがに石原さんは出ないでしょうから、どうするかでしょうね。
 もし東国原さんが次の都知事選に出るというのであれば、今回感じた疑問に応えて欲しいと思っています。
 
 情報ありがとーございましたー。
 



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